第5回 金子 美登(かねこ よしのり)さん  埼玉県小川町霜里農場
<プロフィール>
祖父母の代は養蚕と機織り、両親の代は酪農という代々農業の家に1948年、生まれる。71年農水省農業者大学校を一期生として卒業後、2haの田んぼと畑で有機農業を始める。会費制自給農場を基盤に活発な活動を展開するが、一時収入はゼロに。77年、消費者自身が決める金額で農産物を届けるという「お礼(れい)制農場」を始める。その間、アジアやヨーロッパの有機農業の現場の視察や92年にはOECD環境委員会に友子夫人とともに出席するなど、海外との交流も活発に行う。現在、消費者40軒と提携、国内外からの研修生を受け入れながら霜里農場(水田1.5ha、畑1.3ha、山林1.7ha、乳牛2頭、鶏200羽、兎10羽、蜜蜂2群)を営む。昨年2月には小川町有機農業生産グループ14人で「無農薬・有機農産物の店」をオープン、一般の消費者にもアプローチを始める。

利益が小さくても安心は大きい。それが農業

幸田 農業の環境が大きく変化してますね。農業を守るためには機械化、大型化を進めなければ生き残れないという考えと、環境との共生を目指すためには小規模でないとできないという主張があります。これからの日本の農業のあり方をどのようにお考えですか。
金子 日本の風土は雨量が多く、夏が多湿で酸性土壌が特徴ですが、戦後の日本はまったく風土の異なる、夏に乾き雨の少ないアルカリ土壌の中で確立した欧米型の大規模農場をひたすら模倣してきました。もう日本の風土に適した日本型農業に戻るべきだと思います。私は家族農業を基本に、家畜、山、水田、畑、すべてが循環する複合有機農業を25年やってきました。私の実践から言えば、1haないし、大きくても2haの規模が最も環境共生型の日本型農業と実感しています。
 私のところでは長期の研修生を受け入れて17年になりますが、すでに国内で30人ほどが独立しています。そのうち9割が非農家の出身で、大企業のリーダーにもなり得るような方々ですが、工業化社会はこのままではダメだと見切りをつけている人が多いんですね。彼らは体当たりで新しい農業のあり方を模索しています。国は農家の後継者にはいろいろな策を講じていますが、こうした農業の後継者を育てることには非常に遅れています。有機農業を実践しても土づくりには少なくても3年はかかる。それまでは収入があまりないわけですから、ソフトな補助金といいますか、3年間ぐらい月10万円でもいいですから生活が成り立つまでの支援策が欲しい。
 しかし、補助金というと田んぼを大きくしたり、林道やダムを建設したりと土建業にお金が落ちるようなものばかりです。
幸田 有機農業は無理だという声はありませんか。実際に農業に携わっている人たちとお話していかがですか。
金子 私たちが始めた25年前は、そんなの理想論だとか、食っちゃいけないよという話もありましたが、もうここまでくると認められるようになったかなという気がします。
幸田 ビジネスとしてもうまくいきそうですか。
金子 農業の場合はほどほどにしか食べられないといいますか、そんなに儲けることもできませんが借金もない。私はよく言うんですが「小利大安」、つまり利益は小さくてもそこから得られる安心は大きいというのが農業だと思います。
幸田 それは環境問題全般に言えることですね。今日は金子さんの実践している複合循環農業をじっくり見せていただきたいと思います。

水田にて

金子 今年から水田の除草にマガモを入れることにしました。10aに30羽。草を取ってくれるのと害虫も食べてくれます。イネ科以外の草はきれいに食べてくれて、イネを揺すってくれますので株が開いて良く育つんですね。
幸田 ぴったりの役割ですね。
金子 一鳥万宝の世界ですね。もちろん農薬はまったく使いません。

緑肥農地にて

金子 土づくりには良質のたい肥がポイントですが、次に輪作が大切です。同じ科のもの、白菜とか小松菜とかキャヘツとかアブラナ科ばかり作った場合、4年目に違う科のもの、例えばイネ科の麦を入れると病害虫の発生が少なくなります。
 もう一つの土づくりのポイントは緑肥を入れてやります。豆科のクロタラリアという植物ですが、線虫をおさえる効果と同時に根粒バクテリアが窒素を根に固定しますので、枯らしてから入れると大変良い有機肥料になります。
 この緑肥の種はインドが原産で、長期的にはコスト面でも化学肥料に負けない肥料になると思います。
幸田 こうした農業が大規模農業にも使えないものでしょうか。
金子 この辺も水田の作り手がいなくなるので、質を落とさない合理化という有機農業の考え方で米、麦、大豆は仲間と共同で大規模化してやろうと思っています。そして、野菜とかニワトリの飼育は個々にやるのが良いかなと思っています。
幸田 こうした農業がなんとか大規模農業にも使えないものでしょうか。
金子 この辺も水田の作り手がいなくなりますから、そうしたら私たちの有機農業の考え方で米、麦、大豆だけは共同で大規模化して、野菜とかニワトリの飼育は個々にやっていこうと思っています。

バイオガスタンクの前にて

幸田 ところで 金子さんが有機農業に取り組んだキッカケは何だったんですか。
金子  私の父親は30頭ぐらい牛を飼って酪農をしていましたが、私は有機農業の大切さを牛から教えられました。
 毎日小さいときから牛の乳を搾って飲んでいましたが、ある時、市販の牛乳を飲んでびっくりしました。ぜんぜんおいしくない。外国の安い脱脂粉乳と無塩バターを水で戻して、牛乳ですと言っている。
 汗を流してでもおいしい牛乳を消費者に届けたいということと、もう一つは、牛は30頭も飼うと今のように草を与え、運動をさせることができないんですね。輸入飼料で育てざるを得ないんですが、そうすると牛が弱くなってしまうんです。
 実は私の家は乳牛2頭の糞尿で5人家族のメタンガスを自給しています。
 地下に埋められた10m3の発酵タンクの中で、嫌気性バクテリアの働きでメタンガスが発生し、し尿が液肥になります。即効性の非常にいい肥料です。
メタンガスは都市ガスと同じ6,000Kcal。冬はガスのでき具合が50%ぐらいダウンしますので、太陽熱温水器の湯を通してタンクを温めています。
こうしたバイオマスは中国には500万基、ネパールには170万基もあるそうです。こうした中間技術が日本にないのは残念ですが、私たちはこの技術を自分のものにしようと業者に頼まないで自分たちで作っています。
 バイオガスキャラバン(事務局TEL.0493-72-7991)という活動と出会い、わが家でも1994年からバイオガスの利用を始めています。
幸田 腐葉土づくりにも力を入れてらっしゃいますよね。
金子 私たちの有機農業の考え方は、山の自然は秋になると落ち葉が地を埋めて肥料になるように、自然が100年、200年かけて1cm作った腐葉土を、人の力によって10年ぐらいでつくろうというものです。
 都市近郊ほど有機農業はやりやすいと言われますが、こうして道路に面した所に空き地をつくっておくと街路樹をせん定した枝を植木屋さんが運んできてくれます。有機農業の初期には家畜の糞尿中心のたい肥でいいんですが、15年もするとリン酸が過剰になってしまうので、長期的には植物性のたい肥の方が優れています。
幸田 金子さんのような農業をさらに発展させていくうえで一番大変なことは何ですか。これさえ突破したらもっとよくなるというようなことがありますか。
金子 有機農業を面に広げるとしたら農政の改革ですね。私たちは今までどこからの支援も受けていませんが、すでに循環型農業のモデルは各地にできています。有機農業こそが理想なんだという理念を農政が早く持つこと。そして現実をその理想に向かって近づけるような政策を掲げるべきだと思います。でないとまた手遅れになる。
例えば有機農産物のガイドラインは欧米に比べるといい加減なんですよ。欧米では化学肥料と農薬を使わないで3年以上たった畑で栽培されたものを有機農産物と定義していますが、日本はあいまいなんです。このあいまいなスキをついて、どっと海外の有機農産物が上陸してくる。近代農業はおろか、有機農業も太刀打ちできなくなる。
もう1点、欧米は化学肥料や農薬を減らし、それによる減収分に補助金を出したり、中山間地の村が過疎化しないようにソフトな直接補償をするという環境重視の策を取っています。日本は四半世紀以上過ぎた今日でもまだ減反などと言っています。これでは農民はやる気をなくし、国民は主食の米を大事にしなくなるのは当然だと思います。
84年から世界的には一人当たりの穀物生産量は頭打ちになっていて、食糧は慢性的に不足状態にありますが、まだ日本はのんきですね。
93年、ウルグアイラウンドが妥結して日本は米の部分自由化に踏み切りましたが、私はこのとき、米の部分自由化をする代わりに「麦と大豆の60%を自給する」という政策を取るべきだったと思っています。何の手も打たずに丸裸で自由化した。つくづく情けない国だと思います。例えば、54年の麦生産量は420万t(うち小麦152万t、大麦258万t)。小麦の自給率は59%です。米麦一貫生産体制を復活して、関東以西で米と麦を栽培すれば米の収量が減るので減反なんかしなくてすむのです。同時に食糧安全保障の確保にもなる。今は土地改良も遙かに進んでいますから、麦や大豆の60%自給は難しくない。こういう主張をしてくれる政治家がいないんですねー。
幸田 日本の穀物自給率は30%以下になってますよね。
金子 一国を一本の木に例えれば農業というのは、目に見えない土の中の根っこですね。商業や工業は枝葉ですね。この根っこが30%もないということは切り花国家と言えます。やがて枯れると思いますね。
幸田 大事な食糧の問題に目が向いていないのは不思議でなりませんね。プライオリティーを今一度考え直さないといけない。
金子 25年間有機農業やってきて、技術的にもきちっと自給できる見通しがつかめました。あとの25年はエネルギーの自給、風や太陽を利用した自然界の尽きることのないエネルギーの小川の利用を考えようと思います。
この方向に国づくりの基本を変えていけば、環境にやさしい新しい時代が来ると思います。
幸田 いいお話をありがとうございました。

インタビューを終えて

 金子さん宅で、さまざまな地方からやってきた若者たちと出会いました。農業研修生です。18年前から受け入れを初めて、当初は非農家出身が多かったのに、3年前から農家の後継者が目立って増えてきたそうです。
 彼らの姿が、今から四半世紀前、米の減反が始まろうとしていたころの、農業者大学校生の金子さんの姿と、重なって見えました。環境が激しく変化するなかで、農業のあり方を真剣に模索し、新たな進路を切り開こうとする意気込みが感じられたからです。
 落ち葉や木の枝、家畜の糞でたい肥をつくることから始まって、エネルギーはバイオガス、風力、そしてソーラー電池。金子さんの試みは、地球環境時代に調和した循環型農業の追求であると同時に、農業の自給自足体制を高めようとする挑戦でもあります。
 「今では変わり者と言われなくなった」との金子さんの言葉は、進行する地球環境の悪化や人口爆発の現実が、一般の農業者にも浸透してきたことを示しているのでしょうか。
(幸田 シャーミン)



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